一人会議議事録

日々是遺書

死との対話

この本を読むと、死体がそこらに転がっている世界がおかしいのか
死体を一切見ない世界がおかしいのかわからなくなってくる。

確かに、個人的にも幼少のころ、爺さんの死体を見たのが最後なような気がする。うるおぼえだが。そっから、ウン十年死体を見てない。
エレベータで病室から霊安室に下りる途中、泣いている親。トイレ。
なんか、うるおぼえ
確かに死体をまったく見ていないのはおかしいかも。

最後の章のダライラマの言葉が良かった気がする。

追記Memo5.7

ダライラマの言葉

・永遠に続く苦しみなんてこの世のどこにもない。
・自殺するぐらいなら、問題を抱えたまま生きてゆくほうがどんなにかよい。
・この世の中は競争だらけ。けれど大切なことは競争に参加する前に、自分の能力をよく見極めることだ。よくよく自分を見極めて、勝負に勝てそうにないと思ったら、最初から競争なんかに参加しないことだ。もしも五分五分で勝てそうなら、競争に参加するのもいいよ、はっはっは。
・いま、必要なのは科学の発見に基づいた人間の価値を重んじる非宗教教育だ。
・日本人の問題点は、実際にはおなかがすいているのに「お腹が空いた」と言えないこと。

脳科学の知見が、このダライラマの言う非宗教教育に役立つと思った。
ひらめきの力とかね。脳科学を勉強っつっても関連する本をわけもわからずただ、読んでいるだけなのですが、こう、読んでると、仏教というか、ブッダに行き着くような気ガする。手塚先生のブッダでもいまさらながらでも読もうかな。絶薬読んで、明恵って存在も気になる。



死との対話

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